『日本の軍隊―兵士たちの近代史―』(吉田裕著)

吉田裕著『日本の軍隊―兵士たちの近代史―』(岩波新書)

ビデオテープが擦り切れるほど観た映画『戦争と人間』(全三部作、1970-73年)。日活が五味川純平氏の同名小説(全18巻、三一新書。のち光文社文庫全9巻)を、浅丘ルリ子、吉永小百合、北大路欣也、高橋英樹ら、当時の大スター総出演で映画化した戦争大河超大作だ。
日産コンツェルンのモデルにしたとされる「伍代産業」の令嬢たちと青年陸軍将校、共産党活動家とその弟らが、日中戦争に翻弄される娯楽映画で、同じく五味川氏原作で仲代達矢が主演した『人間の条件』(全6部作、1959-61年)同様、侵略戦争の実相を、これでもかと突きつける。国民の多くが戦争、兵役体験を持っていた時代とあって、中国大陸での兵士らの略奪、捕虜の刺殺訓練、中国人の強制労働、朝鮮出身者への厳しい差別などが生々しく描かれていた。

いくつも心に残るシーンがあるのだが、その一つに新兵となった共産党活動家の同年兵が、慰問に訪れた家族に「軍隊はよいところだ」「三度三度、ごちそうが食える」といったようなことをうれしそうに語るシーン(セリフは正確ではありません)があった。内務班で連日、厳しい私的制裁(いわゆるリンチ)で軍人精神なるものを叩きこまれていたにもかかわらずだ。

そんな疑問に答えてくれたのが『日本の軍隊―』だった。日本に徴兵制が導入されたのは1873年(明治6年)。同年末の陸軍兵力は1万人強とわずかだったが、その後、順次、増員されて、西洋式の食事や服装、標準語や時間に合わせた団体行動などを、国民に浸透させる役割も果たした。貧しい農民出身者の中には初めて、三食と寝るところの心配がない生活を軍隊で送ることができた者もいたという。

資産家子弟や高学歴の者には抜け道もあったが、進級(昇進)は基本的に能力主義で、満期除隊までに上等兵になれば、地元で消防団や在郷軍人会の幹部、村会議員など、高等小学校出では到底、手にできない権力を得ることもできた。さらに再服役を志願して下士官や尉官になることも、努力次第では全く手が届かないものではなく、高額な恩給や退職金も魅力だった。

ゆえに軍隊は、単に辛い場所ではなく人間修養の場のように扱われ、徴兵検査は男子の通過儀礼として地域や家門を挙げて祝われた。そして過酷な訓練の中で「天皇の軍隊」としての精神を叩きこまれ、多くの兵士がわき目も振らず敗戦という破滅に突き進んでいったのだ。吉田氏は豊富な史料を示しながら、社会構造の矛盾を糊塗する仕組みとして、軍隊が組み込まれていく構図を明らかにしている。

日本の軍隊が「民衆の軍隊」ではなく「天皇の軍隊」であったことについて、兵隊作家、伊藤桂一氏の著作から、敗戦で故国に帰っても「迎えてくれたのはそれぞれの近親者だけである」「前線も銃後も、ともに惨憺たる目にあいながら、互いをいたわり合うことすらしなかった」「このようなみじめな負け方をした国は、古来、歴史上にその例をみないだろう」と引用しているのが、興味深い。

ブログで吉田裕氏の著書を取り上げるのは、多くの餓死者につながった兵站の問題などを明らかにした『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』に次いで2冊目。トンデモ歴史本が書店に平積みにされベストセラーになるという“世紀末”の世相の中で、「わがままな若者を鍛え直すため、徴兵制が必要」などと時代錯誤極まる発言をする政治家も多い。史実を誠実に積み上げ、まさに科学として過去の真相に迫る歴史学者の努力と成果に、多くの人が敬虔であってほしいと願う。

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